今日の老子
天と地のあいだは、まるで「ふいご」のようではないか?(第五章)
老子は、「ふいご」(蛇腹になった昔の火をおこす道具)という言葉を、ホログラムについて伝える喩(たと)えとして選んだのでしょうか?
そう思います。
ホログラムという概念の助けなしで、頭の中に投影された世界を説明するのは、きわめて難しかったに違いありません。
個人的には、この概念こそが禅とタオイズムをつなぐ失われたリンクだと思っています。
日本の禅師・道元は正法眼蔵という膨大な書を残しています。では、「正法眼蔵」とは、どういう意味なのでしょうか?
「正法」は、«正しい教え right teaching»。「眼」は、«目 eye»。「蔵」は、«倉庫 storage»。
「目の倉庫」?
これをホログラムと解釈しては、誤りでしょうか?
ここにおいて、道元が軽蔑したタオイズムと、禅師自身が手をつなぐことになります。
禅師の書は、「頭の中のホログラムについての正しい教え」と訳せそうです。
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