今日の老子
無仕事という仕事をしろ。(第六三章)
老子は、仕事というものに反対なわけではありません。
ここで言う「仕事」とは、「干渉」のことです。
では、「無干渉で干渉しろ」とは、どういう意味なのでしょう?
老子は、干渉を禁じているのでしょうか?
それは、イエスでもあるし、ノーでもあります。
イエス。直接に干渉する意味では、禁じています。干渉をすべきではありません。
ノー。タオによってという意味では、干渉を禁じてはいません。
あなたのホログラム(すなわち、この世界)に干渉しないことによって、影響を与えることができるのです。
それは、玄牝(げんぴ)と呼ばれます。
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2008年12月30日火曜日
2008年12月29日月曜日
2008年12月26日金曜日
2008年12月25日木曜日
2008年12月24日水曜日
2008年12月23日火曜日
刺激はいらない、原則的には。
今日の老子
欲をかき立てるようなものを見なければ、人の心に波風は立たない。(第三章)
今日までのところ、第三章の最初のみっつの文がアップされています。
それを解読すると、以下のようになります。
物事を知的に分析しなければ、二見によって苦しめられることはない。
ホログラムを己の利益のために変えると、その意図は逆に働く。
自分の欲は己のものではなく、山河大地どうようただの触媒(きっかけ、契機)にすぎぬと知れば、それが満たされぬときも、不満を覚える必要はない。
Tao Te Ching Decoded の目的は、老子の文章を学問的に分析することではなく、人生の安らぎを必要とする人に「道徳経」の精髄をお届けすることにあります。
日本での笑い話にニヤリとしていただけるならば、筆者にとってこの上ない幸せです。
「原則的に、刺激はいりません」が、ちょっとくらい笑っても罪はないと思います。
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–インテリはいらない インテリさえいなければ、世の中はもっと安泰かも?
–珍しいコイン 珍しいって、そんなにすごいことですか?
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ホログラムを己の利益のために変えると、その意図は逆に働く。
自分の欲は己のものではなく、山河大地どうようただの触媒(きっかけ、契機)にすぎぬと知れば、それが満たされぬときも、不満を覚える必要はない。
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体、たましい、タオ。
今日の老子
そして、魂と魄をタオと一つにしたまま保っておけるか?(第十章)
昔、中国の人たちは、肉体が滅びると、魂は天に、魄は大地に、それぞれ向かうと考えていました。
昔からの言い伝えは、いつもいつも、良き教えへと導いてくれるというわけでもありません。
ここに、心と体の二見がうかがえます。(『二見』・・・二つに分割する考え。「判断」して、断ち切ってしまうこと。)
心と体は、別なものなのでしょうか?
もし、そうだと思えば、それはそうなります。しかし、そう考えてしまうと、玄同するのが、ちょっと難しくなります。
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–天の門 玄牝(げんぴ)の説明があります。
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2008年12月22日月曜日
2008年12月21日日曜日
魂(こん)と魄(はく)
2008年12月20日土曜日
2008年12月19日金曜日
2008年12月18日木曜日
「ふいご」って、ホログラム?
今日の老子
天と地のあいだは、まるで「ふいご」のようではないか?(第五章)
老子は、「ふいご」(蛇腹になった昔の火をおこす道具)という言葉を、ホログラムについて伝える喩(たと)えとして選んだのでしょうか?
そう思います。
ホログラムという概念の助けなしで、頭の中に投影された世界を説明するのは、きわめて難しかったに違いありません。
個人的には、この概念こそが禅とタオイズムをつなぐ失われたリンクだと思っています。
日本の禅師・道元は正法眼蔵という膨大な書を残しています。では、「正法眼蔵」とは、どういう意味なのでしょうか?
「正法」は、«正しい教え right teaching»。「眼」は、«目 eye»。「蔵」は、«倉庫 storage»。
「目の倉庫」?
これをホログラムと解釈しては、誤りでしょうか?
ここにおいて、道元が軽蔑したタオイズムと、禅師自身が手をつなぐことになります。
禅師の書は、「頭の中のホログラムについての正しい教え」と訳せそうです。
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2008年12月17日水曜日
2008年12月15日月曜日
真の英知
今日の老子
賢者には,情けはない。
すべてをわらの犬のように扱う。(第五章)
「わらの犬」については、Tao Te Ching Decoded の同名の章で詳しく扱っています。
これについては「荘子」がその書の中で丁寧に説明しており、それを読むと日本の正月の輪飾りのことを思わずにはいられません。
日本の小さな神々は、どういうわけか家の隅っこ、特にトイレとか台所の隅とかが好きなようです。
そういった場所には、輪飾りをお供えし、家内安全を願います。
ひとたび正月が明けると、「荘子」が語るように、飾りは捨てられます。
それは、再生と新生を象徴するのです。
深すぎる情けは、自然な再生の成り行きを妨げます。賢者はそれを好みません。
賢者には,情けはない。
すべてをわらの犬のように扱う。(第五章)
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深すぎる情けは、自然な再生の成り行きを妨げます。賢者はそれを好みません。
2008年12月14日日曜日
すべてと無
今日の老子
まったくもって、すべてと無は互いに互いを生み出すのである。(第二章)
さて、今回はついに、「無とは、すべてである」という東洋の謎がやってきましたね。
それを口にする人はいても、本当はどんな意味なのか教えてくれる人はいません。
「すべて」という言葉をホログラムに、「無」という言葉をエネルギーに置き換えてみてください。
上の文は、「ホログラムとエネルギーは互いに互いを生み出す」となります。
少しは簡単になりましたか?
「老子」を読み解く上で、「ホログラム」という言葉は、大切な鍵になります。
老子や、道元のような禅師らは、「ホログラム」という言葉を使わずに、よくタオのメカニズムが説明できたなとつくづく思います。
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2008年12月13日土曜日
2008年12月12日金曜日
情けはいらない
今日の老子
天と地には情けの気持ちはない。
すべてをわらの犬のように扱う。(第五章)
じつは、ずっと、この章について皆さんのご意見をうかがいたいと思っていたです。昨日やっと五章をタイプし終えて、それがかないました。なにぶん、複数のサイトを一人で管理しているので、どうしても人手が足りず、記事の更新が後手々々となってしまいます。申し訳ありません。
この一説に関して、どう思われますか。この「わらの犬」という言葉は、映画監督サム・ペキンパーの琴線に強く触れたのでしょう。彼は、ダスティン・ホフマンと一緒に同名の映画を作っています。
情けというのは、自分勝手なものです。タオは、そういった「えこひいき」のある行為を好みません。
たとえそれが、人の道に外れた、どんなにひどい男であっても、太陽はその光をふりそそぎます。
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情けというのは、自分勝手なものです。タオは、そういった「えこひいき」のある行為を好みません。
たとえそれが、人の道に外れた、どんなにひどい男であっても、太陽はその光をふりそそぎます。
2008年12月10日水曜日
2008年12月9日火曜日
判断をするな
今日の老子
人は皆、何が美しいか知っている。しかし、それはまさに醜い。
人は皆、何が善か知っている。しかし、それはまさに悪だ。(第二章)
どうでしょう? これは、つくづくそう思いますよね。ここで老子は、判断というものが実に自分勝手にされるのだということを言っています。
善し悪しを判断すれば、必ず不満が生じます。良いとか悪いとかいう考えを捨てれば、すべては素晴らしいのです。
「でも、待ってよ。美人は、やっぱり、美人でしょ!」
なんて、おっしゃる方がいるかもしれません。
さて、奇麗とか奇麗じゃないなんて、そんなに絶対的なものでしょうか?
TAO TE CHING DECODED の「鏡よ、鏡よ、鏡さん」という章に、美人とはほど遠いひとりの日本人の女の子が、ロンドンのナイト・クラブでもてにもてたという話を載せてあります。
人は皆、何が美しいか知っている。しかし、それはまさに醜い。
人は皆、何が善か知っている。しかし、それはまさに悪だ。(第二章)
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善し悪しを判断すれば、必ず不満が生じます。良いとか悪いとかいう考えを捨てれば、すべては素晴らしいのです。
「でも、待ってよ。美人は、やっぱり、美人でしょ!」
なんて、おっしゃる方がいるかもしれません。
さて、奇麗とか奇麗じゃないなんて、そんなに絶対的なものでしょうか?
TAO TE CHING DECODED の「鏡よ、鏡よ、鏡さん」という章に、美人とはほど遠いひとりの日本人の女の子が、ロンドンのナイト・クラブでもてにもてたという話を載せてあります。
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